はじめまして ‘にょん’です

May 18, 2018

はじめまして。‘にょん’です。
3月から不定期でサードプレイスの取り組みをお手伝いしていて、5月から「地区センカフェ」のスタッフになりました。
大学生です。よろしくお願いします。
 
最近の地区センカフェについて徒然と書きました。
読んでいただけると嬉しいです。
 
 
最近、地区センカフェで人気なのが、「カタルタ」。
トランプにそれぞれ違う接続詞が書かれたカードです。
本来の遊び方は説明書読んでもよくわからなかったのですが、ここではひとり1枚ずつ引いていって、話を繋げる。山札がなくなったら終わり。という独自ルールを設定して遊んでいます。
 
一見子どもたちにはおもしろくなさそうに思えるこのゲームなんですが、好きに話を紡げるのが楽しいのか、前回初めてやったら低学年の女の子がどハマり。今回も来た途端「やろ〜!」とお誘いが。
 
前回も時間いっぱいやったのに飽きないなあ、なんて思いながら他の小学生も混えて一緒に遊びました。
 
ちなみに前回子どもたちがよく使った展開は「火事」。
ことあるごとに火事が起きては人が亡くなっていました。物騒。

 

そして今回。
今回の展開はほぼ「にょんが死ぬ」。
もう何があってもわたしは死にます。
火事でも死ぬし、喧嘩しても死ぬし、なんなら何もしていなくても死ぬ。
とりあえずにょんは死ぬ役目でした。わたしのターンでいくら生き返らせても結局は死ぬんです。
 
いくら殺されようがなんとも思わないし、楽しいならいくらでも殺してくれとさえ思うんですが、一緒に遊びながら自分の子ども時代を思い返して、そういえば自分も同じことしてたなあと。
子どもの頃って、それこそ本当に、ちょっと年上の人をいじりたいんですよね。構ってほしいのかなんなのでしょうか、とにかくいじりたいんです。その反応がおもしろいんですよ、きっと。あれなんでなんでしょうかね。
小学校低学年にとって、大学生なんてもういい年したBBA。そう考えると、大学生ってちょうどいい、いじりがいのある存在なんでしょうかね。
 
いろんな接続詞が出てくるこのカードゲーム、子どもたちのお気に入りは「100年たって」。

 

どんな展開にも持っていける、魔法のワードです。これが最後の1枚で終わった時のなんとも言えない感動よ。
難しいのは「そらには」。
脈略がないカードばかりの中でも、一番使いづらい。大抵空には太陽か雲か死んだにょんが浮かんでいることになります。バリエーションが欲しい。
 
「にょんがいっぱいいる世界」っていう設定もあって、それを子どもが絵にしてくれました。にょんがいっぱいいたら…うーん、想像しなくても怖いな。
 
このゲームは接続詞に合わせて話が進むので、どんな展開になるか、全然読めないんです。

もちろんどう転ぼうとにょんは死にますが、「あ、そういう死に方する?」っていう展開を出してきたりとか、自分のターンじゃないのに話が思い浮かんで言いたくてうずうずしてたりとか、ありきたりなようで、柔軟な子どもたちの受け答えがおもしろいです。それに、どうにかしてにょんを殺そうとしても、バッドエンドに持って行きたくないというんだから、それもおもしろい。
 
数人の頭の中で描かれる世界が、1人が紡ぐ言葉と、カードが出すある意味素っ頓狂な接続詞によって、思わぬ方向に向かっていく。
このゲーム、結構奥深そう。大人がやったらどんな話が生まれるのか、別のところでもやってみたい。
(さらに言えば、物騒な言葉を使っているときにぽんと出てくる言葉を聞くと、子どもたちがその言葉に対してどんなイメージを持っているのかも気になってしまいますよね。「自殺」「いじめ」、大人が好きそうな()言葉が最後の方出てきたので。)
 
それから、子どもたちといてああそういえば、と子ども時代を思い起こさせてくれるのは、お菓子の存在。
いまの大人も大学生も「ご飯に行く」ことが会話のきっかけであるように、子どもたちにとっても「お菓子」がコミュニケーションの鍵となっているみたいなんです。
 
ちょっとした空腹を満たすだけに限らず、「お菓子頂戴」「このお菓子好き」「お返しにこのお菓子あげる」…そんな些細なやりとりが、子どもたちの間で無意識のうちに大切にされているんです。例え知らない子ども同士でも、お菓子を一度交換すればそれはもう友達と呼べるようなもの。
 
思い返せば、自分の子ども時代もよく駄菓子屋に行っていました。
駄菓子屋でお菓子を買って、公園で食べながら(もちろん交換もしながら)駄弁るのがよくあるパターンでした。
たった数百円、されど数百円。削ってしまうのは心苦しいお金だと、切に感じます。
 
同じ時間の流れで過ごす度に、あの頃のわたしがなりたかった、あの頃のわたしが欲していた「大人」になれているのかな、と自分を振り返るきっかけをくれます。若さがゆえに子どもたちに人気でいられる今は、ある意味特権かなと。
本当は可愛いだけじゃない子どもたち。子どもの可愛い部分だけを切り取ったように接しているわたしだからこそ、できる何か…を探すのもいいけれど、わたしのしたいように子どもたちと関わっていけたらいいな、とも思うのでした。

 

難しいこと考えるのは難しい。

 

 

 

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